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習近平氏、抗日戦争の記念碑に献花

中華人民共和国ニュース
この記事は約9分で読めます。

抗日戦争ねぇ。

盧溝橋事件から88年 習主席「抗日戦争」の記念碑訪れ献花

2025年7月8日 11時15分

日中戦争の発端となった「盧溝橋事件」から88年となった7日、中国の習近平国家主席は「抗日戦争」の記念碑を訪れ献花しました

NHKニュースより

習近平氏は対日強硬姿勢で、今の経済不況を乗り切るつもりなのだろうか。

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抗日戦争を仕掛けるコミンテルン

蚕食される支那

盧溝橋事件(昭和12年:1937年7月7日~9日)がどんな事件だったのか?という話を、NHKはどう捉えてこのニュースを流しているんだろうか。

中国の国営テレビによりますと、習近平国家主席は7日、内陸部の山西省を視察し、「抗日戦争」の記念碑を訪れて献花しました。

この記念碑は中国共産党の軍隊が旧日本軍に対して行った「百団大戦」と呼ばれる作戦を記念したもので、中国共産党は旧日本軍に打撃を与えたと主張しています。

NHKニュース「盧溝橋事件から88年 」より

歴史にはあまり興味がないのかなぁ?公共放送なのに?

さて、改めて少し話を整理しておきたい。

簡単な背景

盧溝橋事件の歴史的背景として、この当時の支那は多くの国家に植民地化を狙われていたという事実がある。簡単な?年表を作って時系列を見ていこう。

  • 1891年 : ロシア帝国がフランス資本からの資金援助を得ながらロシア鉄道の建設を開始し、南進の準備開始
  • 1894年7月~ : 日清戦争開始
  • 1895年4月  : 下関条約で朝鮮の独立確認と、台湾の割譲
  • 1897年 : フランス海軍バヤール級装甲艦「バヤール」が「たまたま」広東湾に入ったところ非常な深水良港であることに驚き、翌年、湾一帯を占領
  • 1898年 : イギリスが九龍以北、深圳河以南の新界地域の租借に成功
  • 1898年 : ドイツが宣教師殺害事件を口実に、山東半島の租借権を獲得
  • 1899年 : フランスが広州湾を正式に租借
  • 1900年 : アメリカが支那市場の門戸開放と列国の機会均等を訴え、支那の領土保全を唱える
  • 1904年2月~ : 日露戦争開始
  • 1905年10月 : ポーツマス条約で日本が樺太島南半分と満州南部の租借権を獲得
  • 1912年2月 : 前年に勃発した辛亥革命の影響で清国滅亡
  • 1912年2月12日 : 中華民国建国の宣言
  • 1915年  : 袁世凱による中華帝国建国の宣言、翌年に滅亡
  • 1917年3月 : ロシア革命(ニ月革命、十月革命)によりソビエト政権樹立
  • 1919年 : 孫文による国民党設立
  • 1921年 : コミンテルンの指導により支那共産党が結成
  • 1923年 : 孫文による広東大元帥府の設立
  • 1924年 : 国民党がソ連の支援を受ける条件として、共産党と同盟を結ぶ(第一次国共合作) 
  • 1926年 : 北伐開始
  • 1927年3月 : 南京事件勃発(国民党と共産党の対立)
  • 1927年4月 : 上海クーデター勃発により国共合作崩壊。この後、9月に南京政府樹立。
  • 1931年9月 : 満州事変勃発(帝国陸軍と国民党軍が衝突)
  • 1932年3月1日 : 満州国建国
  • 1935年7月 : 第7回コミンテルン大会がモスクワで開催され、西洋においてはドイツ、東洋においては日本を目標とすることが宣言される。そして、支那においては抗日戦線が重要であると主張される。
  • 1935年8月 : 共産党が8.1宣言(抗日救国の為に全同胞に告げる書)を出す
  • 1936年12月 : 西安事件によって蒋介石が拉致監禁される
  • 1937年7月 : 盧溝橋事件勃発
  • 1937年9月 : 第二次国共合作成立
  • 1949年10月1日 :中華人民共和国設立

ざっと、60年程の略歴をあげさせてもらった。黄色のマーカーは外国の思惑絡みで、赤と青が国内の話だね。こちらが分かり易く図解されたもの。

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ザックリ言うと、時代背景的には列強に蚕食される時代だったということだ。

盧溝橋事件

では、盧溝橋事件とは一体何だったのか?というと、簡単に言うと日本帝国陸軍と国民党軍との衝突である。

当時、満州国に日本帝国陸軍が常駐していて、北伐を行う国民党にとっては帝国陸軍が目の上のたんこぶであった。

日本帝国陸軍と国民党軍との戦闘

1937年7月には、帝国陸軍は豊台に駐屯して演習をしており、その演習の最中に何者かによる銃撃を受ける。

その場に居合わせたとされるのが北伐を行って勢力拡大を目論む国民党で、盧溝橋に進軍していたことが分かっている。そして、帝国陸軍との間には軋轢があって、帝国陸軍側から発砲の疑いをかけられ態度を硬化させる。

この盧溝橋事件発生前にも、国民党側は邦人の不法取調べや監禁・暴行、軍用電話線切断事件、連絡用飛行の阻止など50件以上の不法事件を引き起こしており、帝国陸軍側からも国民党軍に対する印象は悪かった。

この時、長征として共産党軍もまた天津に主力を起き、豊台にも一部隊を置いて演習を繰り返していたとされるが、実態はゲリラ活動にいそしんでいる程度の話だったようだ。

結局、帝国陸軍と国民党軍が衝突する形で戦闘が起き、停戦協定が結ばれる形で終結してはいるが、ハッキリしたことは分かっていない。

国営メディアによりますと、このうち北京郊外にある「抗日戦争記念館」で行われた式典には、中国共産党で序列5位の蔡奇 政治局常務委員が出席しました。

記念館では、去年秋から準備を進めてきた特別展の開幕式も並行して行われ、これについて蔡氏は式典の演説で「愛国主義や革命の伝統に関する教育を展開するための重要なプラットフォームになる」と述べ、意義を強調しました。

NHKニュースより

訳が分からないのは、共産党が抗日の象徴的な日として盧溝橋事件を取り上げていることだ。

支那における位置づけ

彼ら(支那共産党)の主張によれば、以下のようなものとなるらしい。

  1. 日本の侵略戦争の全面的開始のきっかけ
    • 1937年7月7日の盧溝橋事件は、「日本軍が仕組んだ挑発行為」であり、抗日戦争が始まった切っ掛けである。
    • 事件は、支那が自衛的に反撃せざるを得なかった。
  2. 支那の抗戦の正当性の象徴
    • 抗日戦争(民族独立と国家の尊厳を守るための正義の戦争)であった。
    • 「全民族抗戦」の号令が発せられ、共産党と国民党の協力(第二次国共合作)が実現した転機となる
  3. 被害者としての立場
    • 日本は「中国の領土主権を侵害し、不法に戦争を仕掛けた侵略者」
    • 盧溝橋事件は「日本軍の一方的な攻撃」で始まっている。

史実の概略を知っていれば、凡そ理解できないストーリーである。

彼らの中の歴史観は辻褄が合わなくとも問題ないのだろうか?

列強からの侵略の事実は無視なのか

この時代、既に説明したように支那は列強から国家を侵略されていた。満州国が日本の傀儡であったという話は良く聞くが、しかし満州国は独立国家であり軍事力を帝国陸軍に依存しているという形式をとっていた。国際的にそのことを認めず、日本は国際連盟を脱退するに至るんだけど、そこはさておこう。

北伐を進めていた国民党軍は、満州国を蹂躙する時に手始めに帝国陸軍にちょっかいをかけ、敗北したというのが盧溝橋事件なのだけれど、共産党の中ではどういうわけか帝国陸軍が一方的に支那を攻撃したというストーリーになっているらしい。だから、共産党の軍である八路軍は徹底抗戦したと。

あれ?そうすると、停戦協定は帝国陸軍と何処が結んだことになるのよ。あれ?8.1宣言との整合性は?

8.1宣言というのは、コミンテルンの指導と第7回コミンテルン大会の方針に基づいて、抗日作戦を推し進めていこうというもの(1935年8月)で、盧溝橋事件はその2年後に起きている。この事実だけでも「日本側から一方的に仕掛けた」というストーリーには無理がある。

そもそも8.1宣言では内戦状態にある相手である国民党軍のトップの蔣介石の方針を批判して、国共合作を再びやろうとそういう働きかけをしていた。

その結果、1936年の西安事件に発展。西安事件は国民党の張学良、楊虎城らによる蒋介石を拉致監禁する事件で、第二次国共合作を認めさせることになる。つまり、第二次国共合作は西安事件でほぼ確定的になっていて、その後に発生した盧溝橋事件はその流れを加速する切っ掛けになったに過ぎないので、ここから抗日戦争に突入というのは幾ら何でも無理がある。

それ故、盧溝橋事件の切っ掛けを作ったのは共産党軍ではないのか?と疑っている。まあ、そういう説もあるしね。

テロに屈する

清国の滅亡

この時代の支那は分かりにくい構図になっていて、清国滅亡(1912年2月)後に孫文が中華民国臨時政府を樹立するも、支那は列強に蚕食されていて国家の体を為してはいなかった。

清国の実力者であった袁世凱がまだまだ影響力を持っていて、1915年には中華帝国建国の宣言を行い、帝政を復活。しかし、反対運動が激しく民意をまとめるに至らず、翌年には帝政を廃止せざるを得なかった。そして、袁世凱は病死してしまう。

この結果、軍閥と呼ばれる組織が陣取り合戦をやる軍閥時代と呼ばれる時代を迎え、内戦状態に突入。「このふざけた時代にようこそ!ヒャッハー」ってな感じである。

軍閥時代は内戦状態

孫文が1925年になくなった後、1926年の蒋介石の北伐宣言が出されて北伐開始。その結果、支那はようやく蒋介石の手によって軍閥時代を終わらせるのである。

北伐の途中、蒋介石は1927年3月21日に南京城包囲をするのだが、この際に共産党員が上海クーデター(1927年4月12日)を起こし国共合作崩壊する。

この背後にいたのが共産党の政治顧問であったミハイル・ボロディンで、コミンテルンの工作員であった彼は共産党に指導をする立場にあって、様々な問題を引き起こしていた。蒋介石は「共産主義者とは手を組めない」と彼を罷免し、国民党は共産党との手を切るに至った。それが上海クーデターである。

更にその後、南昌蜂起(1927年8月1日)が起こり、国民党が擁する南京政府はソ連と国交断絶に至る。

支那国内の共産党一派は、その後、1934年10月頃までに壊滅寸前状態まで追い詰められるのだが、西安事件(1936年12月)を切っ掛けに、反共政策の見直しが進むという奇っ怪な話。

結局、蒋介石は西安事件の際にテロリストに屈したんだね。妥協案として「反日で手を結べば良い」という結論に至ったのだろうが、その後の国民党はコミンテルンの思惑にまんまと乗って戦争に至り、台湾島に逃げ込む結果になってしまうので、判断を誤ったとしか。

そういう意味では、支那共産党が国民党を嵌める切っ掛けになった記念すべき日が盧溝橋事件の日、という意味合いになるのかもしれない。それならば納得だね。

ロジック崩壊

ただ、その疑いがあるにせよ、今の支那共産党はこのストーリーは採用できないそうな。

何故ならば、コミンテルンの話を出すと、支那共産党のストーリーが瓦解するからである。

コミンテルン(共産主義インターナショナル)は、様々な国家に影響を与え、特に支那や北朝鮮の成立に大きく関わっている。しかし、支那共産党の成立が外国の思想によって左右されたという話が出てしまうと、「民族自決」という精神的支柱が崩壊してしまうことになる。このあたりの事情は北の将軍様の事情と同じではあるのだけれど。

支那共産党的には、あくまで漢民族が団結して日本に抵抗し、最終的に国家を樹立したというストーリーが必要となり、この辺りは韓国も同じである。

それ故に、国民党は対立していた軍閥ではなく腐敗した上層部であり我々自身であるということになり、それが「ワン・チャイナ・ポリシー」に繋がっていく。中華民国が実在した正当性のある政府であては困るのである。

また、大東亜戦争という構図も都合が悪く、あくまで共産党が民族を団結させるために戦い、その成立過程で列強の力を借りたという構図でなければならない。本当は中華民国が座っていたはずの連合国の一員の座にちゃっかり座っている背景にもそんな理由があるようだ。

あくまで支那と列強は反日で団結しており、アメリカは味方だしロシアも味方だということにならねばならないようなのだ。なかなか矛盾した話なんだけど、まあ、歴史を掘り返すと都合の悪い部分が出てくるのは仕方がないよね。

コメント

  1. 山童  より:

    彼らと仲良くするのは、あと一万年くらい先になるのが良く解りました
    🌸🌸🌸🌸🌸

    • 木霊 木霊 より:

      残念なことに、彼らのストーリーに乗ってあげることは、日本の国益に反することなので仕方がないですね。

  2. 七面鳥 より:

    こんにちは。

    抗日戦争なぁ……

    ひたすら縦深取って逃げまくってた中共軍と、多少なりとも抗戦した中華民国軍の内乱はなかったことに。

    執拗に日本バッシングするのは「水に落ちた犬は死ぬまで叩く」なんでしょうね。
    声がデカイ方が正義、叩かれるヤツが悪い、悪いから叩く、叩く権利を持つ俺様正義。
    そんな国とは、やってられませんよね。

    ※だからこそ、「次の戦争」で日本は勝利者にならなければならない。

    • 木霊 木霊 より:

      こんにちは。

      習近平氏は、不思議に思わないんでしょうかね?
      ……思わないんでしょうな。