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女性天皇排除は明治時代の遺物なのか

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報道
この記事は約8分で読めます。

共同通信のオナニー記事は、余りに酷い。

女性天皇排除は明治時代の遺物 男女同権が浸透した現代とあつれき

2026/08/11

 「皇位は男系男子が継承する」と定めた皇室典範の規定は、137年前に制定された旧典範をそのまま引き継いでいる。

NEWSjpより

軋轢くらい、漢字で書こうぜ。

タイトルに関する突っ込みはさておき、記事全体を読んでもロジックがお粗末で、着地点で全てを台無しにしている。つまり、137年前に制定された皇室典範の規定もそれを引用する憲法の成立についても、言及しながら見誤っている。読むに堪えない。

大日本帝国と皇室典範

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憲法制定の立役者、井上毅

共同通信は、まず歴史の捏造から始めている。

1889年にできた旧皇室典範は立案過程で女性天皇を認めていた。初代首相を務めた伊藤博文は、歴史上の女性天皇や欧州の女王を例にした。日本が近代化を目指す中で「女帝」の存在は世界の常識になると考えた。

反対したのが法制官僚の井上毅だった。女性が天皇になっても、国民は夫の方が上位にあると受け止めると主張し、夫が権力を持ち、政治に関与する可能性を危惧した。歴代の女性天皇は「臨時や中継ぎ」と扱った。

NEWSjp「女性天皇排除は明治時代の遺物~」より

「法制官僚の井上毅」などと説明しているが、現代の感覚で単なる官僚のような書き方が、そもそも井上毅を馬鹿にした書き方である。

井上毅こそが、大日本帝国制定の立役者なのだから。

職歴も、法制局長官、枢密顧問官、第2次伊藤内閣の文部大臣を歴任しており、伊藤博文と共に、大日本帝国制定、皇室典範制定、教育勅語、軍人勅諭の草案に参加した偉人である。

開国論者、横井小楠

その井上毅が、伊藤らを説得するにあたって、こんな意見を述べたとされている。

「日本にはいまだ『男を尊び女を卑しむ』慣習が人民の脳髄を支配している。もし女性天皇が誕生し、臣下(民間人)の男性と結婚して『皇婿(こうせい:天皇の夫)』を迎えた場合、世間は『夫の方が天皇(妻)より偉い・上位だ』と見てしまうだろう。そうなれば天皇の至高の権威が揺らぎ、夫やその実家が政治的権力を握って国が乱れる原因になる。ゆえに女性天皇は認めるべきではない。」

これが男尊女卑を推し進めた根拠だとする人も少なからずいるのだが、この発言は「謹具意見」という井上毅自身の提出したものの内容だとされている。

しかし、この発言の前提があることは知っておくべきだろう。

この前段としてあるのが、横井小楠が「女帝を立つるの可否」であり、開国論者だった横井小楠は、「男を尊び女を卑しむ慣習、人民の脳髄を支配する我国に至ては、女帝を立て皇婿を置くの不可なるは多弁を費すを要せざるべし」と、女帝の登場を容認していたのに対しての発言であることを踏まえる必要がある。

明治維新の時代に、天才肌の思想家として持て囃されていた横井小楠だが、明治2年(1869年)に京都で暗殺されてしまった。しかしその思想は、勝海舟や坂本龍馬、西郷隆盛などにも大きな影響を与え、伊藤博文や大隈重信にもその思想は引き継がれている。

解任された、大隈重信

そして、横井小楠亡き時代に憲法草案の作成が行われた。

そこでは様々なドラマが生まれている。

憲法制定が必要だとの話が出たのは明治8年(1875年)の夏のこと。岩倉具視から憲法制定の諮問に応じて、井上毅は意見を提出。「憲法制定と議会開設を同一に捉えて時勢変化の自覚を促す」との内容を書き記したという。

そして、明治14年(1881年)になり、有栖川宮熾仁親王の求めに応じ大隈重信と矢野文雄が憲法意見書を提出。この際に、井上毅は福沢諭吉の『民情一新』を添えて大隈の意見書との類似を指摘。イギリスに範をとる憲法制度に反対して、同年中にドイツ型国家構想を主張している。

草案が作られたのは、明治19年(1886年)のことで、伊藤博文の呼びかけて憲法草案作成に着手し、明治21年(1888年)に草案完成。発布されたのは明治22年(1889年)になってからである。

この過程で、大隈・福澤らを政府内から排撃するため、大隈陰謀説の流布に加担し、結果として10月に発生した大隈と井上に属する官僚の罷免につながる(明治十四年の政変)。

大隈重信は、明治14年(1881年)10月12日に罷免されて、野に下ることになる。

大隈重信らも、イギリス型の議院内閣制をそのまま持ち込もうとしたが、「天皇の権威」や「藩閥政府の安定」を揺るがしかねないと批判されたのが、その理由とされている。

大隈重信の解任劇は、まさに憲法制定を巡って意見を戦わせた結果起こったことであり、構想(明治8年)から発布(明治22年)までの14年もかけて作られたのが、大日本帝国だったというわけだ。

男尊女卑の思想はあったのか

ここで、井上毅の「謹具意見」の中にあった「男尊女卑」の話だが、奇しくも井上毅のみならず、反対の意見を持っていた横井小楠も同じ考えであったようだ。その系譜である伊藤博文や大隈重信もまた同じ考えだったのだろう。

時代も立場も違う二人ではあるが、開国のために男尊女卑を打ち破り、女帝を立てるべきとした横井小楠に対して、男尊女卑の思想がある故に女性天皇を立てては天皇の権威を地に落とすと危惧した井上毅。

そして、横井小楠の思想を受け継いだ伊藤博文も、明治天皇に憲法調査のために渡欧を命じられ、イギリスのヴィクトリア女王体制を視察し感銘を受けた時期があった。

しかし、最終的には合理的な判断をして、伊藤も井上が重視した日本の歴史・伝統との整合性を踏まえた制度設計を受け入れた。要は思想より合理性をとったのである。

伊藤は『世の中のものは全部、変わっていく。万物は流転する』とも言っています。それが彼の人生哲学でした。一方、井上は、『変わってはいけない不動のものがあるはずだ』と考える。非常に対照的なんです。そうした両者の落としどころが、明治の憲法であり、明治の皇室典範だったんです。あの時代にヨーロッパの文明国に仲間入りするためには、男系男子主義を取らざるを得なかったのだと思いますが、今はまた違った局面を迎えているのではないでしょうか。私は伝統というのはいろんな引き出しのある棚だと思っています。井上はあの時代に『男系』という引き出しを引いた。でも、今の時代に井上がいたなら別の引き出しを開けて、そこから理論を体系化するかもしれない」

文春オンラインより

この記述が面白いのは、井上毅が「男尊女卑だから男系を選んだ」とは説明していない点である。むしろ、その時代において歴史や伝統、社会情勢を踏まえた上で「男系」という引き出しを選んだ、と説明している。そして、だからこそ「今の時代なら別の引き出しを開けるかもしれない」と続くのである。

つまり、井上毅がこれに反対した理由は、男尊女卑を思想的に優れていると認めていたわけではなく、最も摩擦の少ない形での憲法導入を目指したからに他ならない。

軽い結論

然るに、共同通信はこの記事の締めにこんな主張を紹介している。

東大の本郷恵子名誉教授(日本中世史)は「皇位の正統性を考えるときに、男系男子という言葉は必要だろうか」と投げかける。「皇統が126代続いているとするならば、それ自体が比類なき『歴史と伝統』であり、男系でなくとも十分な重みを持つ」と言う。

国民の天皇観は「権威」だけでなく「親近感や共感、理解できる存在」に変わったとし「皇位継承の在り方はシンプルにした方が継続性があり、長子優先が望ましい」と話している。

NEWSjp「女性天皇排除は明治時代の遺物~」より

コレが軽いというか浅いというか。「それ自体が比類なき『歴史と伝統』であり」と皇統の歴史の重みを認めながら、「男系でなくとも十分な重みを持つ」という意見の飛躍を見せている。

しかし、「126代続いたこと自体が比類なき歴史と伝統だ」というのであれば、次に問うべきなのは、その126代がどのようにして126代続いてきたのかを重視すべきではないのか。

共同通信はその「重み」の意味をはき違えているのだ。

上に紹介したように、大日本帝国制定には14年の歳月と、様々な人物の葛藤があった。

その上で、「歴史と伝統を重んじよう」という結論に至った井上毅の提言が採用されたのである。民主的かつ政治的に決着して憲法や皇室典範に至ったと言えよう。

今、「歴史と伝統」を重んじるのであれば、2600年の歴史の重みは、137年前の出来事と同じ経緯を辿ってもおかしくはない。

皇統譜と男系男子

126代の皇統譜を見れば、それが男系継承で紡がれてきた歴史であることは一目瞭然である。その中に女性天皇は存在したが、それはあくまでも中継ぎ的な存在であったことは、歴史的事実である。

簡単にその事例を紹介しよう。

例えば、初代女性天皇だった第33代推古天皇は、第29代欽明天皇の子であり、第30代敏達天皇の妻であった。第34代舒明天皇を頂くまでの36年間在位しているが、その子は天皇に即位することはなかった。

第35代皇極天皇(在位3年)、第37代斉明天皇(在位6年)は重祚(退位した君主が再び践祚して君主になること)した2例しかない珍しい天皇で、夫である舒明天皇の後をサポートした格好である。

その他、女性天皇は歴史上存在しているが、例外なく男系であり、初代女性天皇の推古天皇以外はみな短期で天皇の座を退いている。

つまり「歴史の重み」とは、男系継承であって、共同通信の記事にあるような「親近感や共感、理解できる存在」とは全く無縁なのである。

まとめ

歴史部分にかなり重みを置いてしまった記事だが、それもこれも共同通信が「歴史の重み」を引き合いに出してきたからに他ならない。

2600年の歴史の長さに異論がある人はいるだろうが、概ね1600年くらいまでは争いはないとされている。その歴史の重みを推し量るのであれば、共同通信の記事の結論になるのには違和感がある。

時代は変わった、だから女性天皇を!というのであれば、ある意味、横井小楠の理論の焼き直しである。

そもそも皇位継承とは一体何を承継するのか、という話で、それは歴史の重み以外はあり得ない。その歴史の重みを重視するのであれば、現代には男尊女卑が緩和されてきたとはいえ、137年前の井上毅の提言と同様のところに着地する方が、理論的ではないだろうか。

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