朝日新聞の報道の姿勢に疑問を感じる。
リンゴ日報創業者に拘禁刑20年 「首謀者」と指摘、厳しい量刑
2026年2月9日 11時11分(2026年2月9日 18時15分更新)
中国共産党に批判的な論調で知られた香港紙「リンゴ日報」(2021年に廃刊)の創業者、黎智英氏(78)が香港国家安全維持法(国安法)違反などの罪に問われた裁判で、香港の裁判所は9日、黎氏に拘禁刑20年の量刑を言い渡した。
朝日新聞より
自分たちの大好きな「報道の自由」は死んでしまったのだろうか?
香港における報道の自由は失われた
なにが罪に問われたか
先ずは、リンゴ日報が「何をしたか」について少し整理しておこう。
「リンゴ日報」とはどんな存在だったのか
朝日新聞が丁寧に説明していないので、このブログではその辺りを少し踏み込んでおきたい。
1995年に創刊されたリンゴ日報は、香港で最も影響力のある民主派のタブロイド紙であった。
- 徹底した権力批判
- 中国共産党や香港政府に対し、妥協のない批判を展開した
- 市民の代弁者
- 2014年の「雨傘運動」や2019年の大規模デモにおいて、デモ隊を支持し、民主化を求める市民の声を届ける「自由の象徴」と見なされていた
- 大衆性と政治性の融合
- 芸能ニュースやスキャンダルを扱うタブロイドの手法で読者を惹きつけつつ、政治的なメッセージを浸透させる独自の手法を持っていた
- 廃刊の経緯
- 2020年の「香港国家安全維持法(国安法)」施行後、警察による本社捜索や資産凍結を受け、2021年6月に26年の歴史に幕を閉じた
- 最終号は異例の100万部が発行され、市民が長蛇の列を作った
簡単に言えば、香港における反権力の象徴的な存在だったのである。まさに朝日新聞が目指すメディアの仕事をしていたと言っても良いだろう。
何が問題視され、罪に問われたのか
黎氏が今回、拘禁刑20年という極めて重い量刑を受けた主な理由は、以下の3つの罪状だ。
- 外国勢力との結託(国安法違反):
- 内容: リンゴ日報の紙面や自身のSNS、外国メディアへのインタビューを通じて、アメリカなどに中国や香港への「制裁」を求めたことが、国家安全を脅かす「外国勢力との共謀」と認定された
- 当局の主張: 黎氏を批判的勢力の「首謀者(マスターマインド)」と位置づけ、外国を動かして香港を混乱させようとしたと厳しく指弾した
- 扇動的な出版物の発行(刑事罪行条例違反):
- 内容: リンゴ日報に掲載された30本以上の記事が、政府への憎悪を煽る「扇動的」なものだったとされた
- 過去の抗議活動への関与:
- 既に未許可デモへの参加や詐欺罪(オフィスビルの使用目的違反)などで実刑判決を受けている
- 今回の20年という刑期はそれらも踏まえた厳しいものとなった
朝日新聞と来たら、支那側の主張を垂れ流すのみだな。
国安法は「外国勢力と結託する罪」について、「犯罪行為が重大な場合」は10年以上の拘禁刑にすると定める。判決は黎氏らの行為が香港内外で行われており、「重大であることは疑いようがない」と認定。一連の行為は計画的に実行され、黎氏が「首謀者」であったとも指摘した。高齢や健康状態を考慮して減刑しても20年の拘禁刑が妥当だと結論づけた。
朝日新聞「リンゴ日報創業者に拘禁刑20年~」より
「高齢や健康状態を考慮して減刑」って、黎氏は78歳である。年齢を考えると実質的な死刑と同じか、それよりも重い量刑だと言えよう。言論封殺のための政治的な見せしめの側面が強い。
香港返還の時の約束
ここで、1997年7月にイギリスから支那へ香港の主権が委譲された時の約束について、思い返してみよう。
そもそも、香港島は1842年に結ばれた南京条約にて、清朝からイギリスに割譲されている。一時的には日本の領土になったが、1945年にはイギリスの植民地に復帰。
そして、1984年に、イギリスと支那は香港を返還するにあたって、「統治体制を資本主義体制の状態で維持する」という合意をした。
中英共同声明とは 香港の「一国二制度」50年保障
2020年7月1日 2:00
香港の返還や返還後の統治体制について中国と英国が1984年に合意した文書。中国本土の社会主義を香港には適用せず、「従来の資本主義体制や生活様式を返還後50年間維持する」と明記し、「一国二制度」を保障する内容だった。声明にもとづき97年7月1日、香港の主権は英国から中国へと返還された。
声明の趣旨は、香港の憲法にあたる香港基本法に盛り込まれた。返還前の90年に成立した基本法は言論や報道の自由、デモやストライキの権利など、中国本土では制限された各種の権利を認める。香港政府には「行政管理権、立法権、独立した司法権および終審権」を与えている。
日本経済新聞より
が、その舌の根も乾かない2003年には、「国家安全条例(基本法23条)」が制定される動きが見られた。
この法律、香港政府自らが国家安全を守る法律を作るよう義務付けたもので、ここでいう「国家安全」とは、支那共産党の言いなりになるという意味である。
当然、市民は反対して50万人規模のデモが行われる。この時にリンゴ日報がデモを強力に後押しし、廃案へと追い込む。民衆によって法律が廃案に追い込まれた形、つまり支那共産党の敗北が刻まれたのだ。
しかし、2020年には全人代常務委員会が香港国家安全法案を可決。2024年に、2003年に廃案に追い込まれた、基本法23条に基づく条例が可決された。
そういう意味では、今回の判決は支那共産党の完全勝利を位置づけるものである。
対日政治三原則の呪い
文化大革命での出来事
翻って、日本のメディアの不甲斐なさが浮き彫りになる話を少ししておこう。今や、信頼を落としてしまっている産経新聞だが、かつてはこんな事件があった。
私は追放された 元産経新聞北京特派員・柴田穂の回想
2021/11/16 10:00
中国の文化大革命のさなかの1967(昭和42)年、産経新聞の北京支局長だった柴田穂(みのる)記者が突然、国外退去処分となりました。柴田記者は文革を丹念に取材していたため、中国当局には都合が悪かったのです。
柴田記者は平成4年に亡くなりましたが、帰国後に執筆した連載を再構成して、改めて「新聞の自由」について考えます。
産経新聞より
残念なことにこの記事は会員限定なので、触りしか読めない。なので、少しだけ整理しておこう。
この話は、文化大革命(1966~1976年)のさなか、当時北京支局長だった柴田穂氏が支那当局から国外退去処分を受けた。
その理由は、「支那情勢を歪曲して報道した」というものだったが、実際には文化大革命の実態を詳細に報じたことが当局の不興を買ったためだと言われている。この際、産経新聞を含む複数の日本メディアの記者が追放された。この件では、産経新聞は他紙からも随分恨みを買ったと言われている。
そして、産経新聞はその後、長年にわたり北京に特派員を置けない状況が続いた。
韓国でも似た事例が
序でに触れておくが、産経新聞は後の時代にも似たことをやらかしている。それが、ソウル支局長の加藤氏が訴えられた事件だ。
【追跡~ソウル発】朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?
2014.08.04
調査機関「韓国ギャラップ」によると、7月第4週の朴槿恵大統領の支持率は前週に続いての40%となった。わずか3カ月半前には6割前後で推移していただけに、大統領の権威はいまや見る影もないことを物語る結果となった。こうなると吹き出してくるのが大統領など権力中枢に対する真偽不明のウワサだ。こうした中、旅客船沈没事故発生当日の4月16日、朴大統領が日中、7時間にわたって所在不明となっていたとする「ファクト」が飛び出し、政権の混迷ぶりが際立つ事態となっている。
zakzakより
この話、確かに加藤氏が「真偽不明な噂」を扱った事実はあったが、しかしそれより以前に朝鮮日報も同じ噂を紙面で扱っていて、こちらは不問であった。
幸いにも裁判では加藤氏は無罪と判断されるに至ったのだが、彼の名誉回復などはなされなかった。
対日政治三原則とは
1958年8月、廖承志らが提示した原則がある。それが、対日政治三原則と後に呼ばれるものだ。
- 支那を敵視しない
- 「二つの支那」をつくる陰謀に加担しない(台湾を国家として認めない)
- 国交正常化を妨げない
ワンチャイナ・ポリシーというのはよく知られているが、実際にはそれだけではないのである。
そして、この政治三原則を、日本のメディアは呑まされることになる。余計なことは書くな、調べるなと。
その原則を踏み越えてしまったのが、先述した産経新聞の柴田氏で、支那から国外退去処分まで受けることになる。
この話は、今なお日本のメディアに呪いのように絡みついている。長年にわたり染みついた「外交的配慮」というのが、メディアに必要なのかどうかは僕には疑問だ。
日本のメディアは「もはや対日政治三原則は過去の話」「影響はない」と、胸を張って言えるのだろうか。
まとめ
リンゴ日報創業者の黎氏に対する拘禁刑20年の量刑を言い渡しと同時に、「自由な香港」の葬儀の鐘が打ち鳴らされた。
しかしそれを報じるべき立場の朝日新聞は、冒頭の報道を読む限りではその責務を果たせているか確信を持てない。
これは朝日新聞だけの問題ではない。毎日も、NHKも無関係ではないのだ。産経ですらその立ち位置は危うい。
記事後半で言及したように、支那に対する報道には心理的なブレーキが働く構図になっている。だが、これをそのまま続けることは、「報道の自由」の緩やかな自殺に繋がるのではないだろうか。



コメント